日本拳法の形について

 古流の柔術は主として、形中心に練習を行った。防具を着装して当身技の練習を始めた”日本拳法”以前は、当身技は非常に危険な技であった。従って、技術を錬磨するためには、真剣勝負のあらゆる場合を考え、それに適応するために、独特の形が案出された。

 この形によって流派ができ、一門が別れたといってもよい。だから防具着装による競技化は、各流派の持つ技術の壁を取り払うことになったともいうる。形は約束動作からできているために弊害も生まれがちである。

 しかしこの反面、逆に防具に頼る安易さから、精神、技術面において、粗雑になったことは否定することができない。また、競技大会は、ともすれば、試合に勝つことを目的とする傾向にもなる。この反省に立って、練習形の中にある。

(1) 作法、精神鍛錬性

(2) 正確な当身技の間合と、体さばきの運用

(3) 組打技への変化、技の理合と研究を行う

ことで形、防具いすれにも偏しない拳法の確立をめざして形を創った。

 形の名称は大地の地。湧水や雨、雪などの水。太陽熱の火。そして空気の風。つまりこの”地・水・火・風”の4つの元素と、そのかたまりの”空”によって、宇宙大自然の運行がなされ、人間の身体・精神が育成され、人生が形どられているという、仏教の陰陽五行説から命名したものである。形の名称の持つ精神が、わが拳法に活かされることを願っている。

地=基本、原則。
水=応用、活機。
火=演習、訓練。
風=試合、実践。
空=超越、自在。

形と創造

 形と創造とは、それだけを対比すると、相容れないもののように思われる。しかし、一見対極と思われる両者の調和の上に発展が存在することは、自然の大法則である。わが拳法の発生と技法の展開もこの中のみにある。
 形を完全に自分のものとし、それを突きぬけた境地に達したとき、はじめて名人芸になるということは、むかしからわが国の武術、伝統芸術の名人によって知らされている。
 ”形に入り、形を抜ける”ということは、否定もしくは無から出発する仏教思想、自己否定を通しての自己主張の精神を享けるもので、東洋の持つ心である。
 当身技においての「不安定の安定」理論もこの二律背反の思想の中から得たものである。

形の構成

 形は攻撃と防御の技形についての基準を示すものであるから、相対した2人で行う。この場合、最初攻撃する者を”掛り”といい、これに対する者を”応え”呼称する。
 2人による形は、剣道の形式に準じて構成されている。また、基本技の練習と、技法の合理を習得するために、独り形がある。これに対して四人形は、スピードとタイミングの練習と、”静→動”に対して、”動→静”という変化を持たす新しい形式を採用した。

形の名称

五陰破之形(ごおんぱのかた)
四方励之形(しほうれいのかた)
三矢撃之形(さんしげきのかた)
拠実之形(きょじつのかた)
木母之形(もくものかた)
地撃之形(ちげきのかた)
地勢之形(ちせいのかた)
水撃之形(すいげきのかた)
水勢之形(すいせいのかた)
火撃之形(かげきのかた)
火勢之形(かせいのかた)
火神之形(かしんのかた)
風勢之形(ふうせいのかた)
風神之形(ふうしんのかた)
空理之形(くうりのかた)
己識之形(こしきのかた)

形練習にあたって

 古くから「先んずれば人を制す」といわれ戦いにおいて先を取ることが、有利であるにもかかわらず、武術の形は、すべて防禦技である後手の技からできている。それは、先手の有利はもちろんであるが、後手になっても、なおこの通り勝つことができるという技法を示すためである。
 防禦は相手の攻撃を、完全に阻止するものでなければならないが、防禦できてもそれが精一杯というのでは、勝つことはできない。
 攻撃に対して防禦が完璧であれば、反撃する余裕がでてくる。
 先に攻撃せよといわれても、強い相手に対したときは、攻撃することができない。それは相手からの攻撃を意識するからである。相手攻撃を恐れなくなると、先制攻撃は行いやすくなる。この意味からも防禦技術は、形練習によって十分会得せねばならない。
形の紹介 【地撃之形】はこちら

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