創始創業の精神(平成30年度 日本拳法優勝大会 パンフレットより)

平成30年12月2日、平成最後の優勝大会となります。平成のその先の時代を拓くためにも、日本拳法一筋に生きた森 良之祐 先生(1926年1月15日―2007年2月11日)の創始・創業の精神を振り返ってみたいと思います。

ひとつの道を切り拓くことを創始と言い、ひとつの事業を起こすことを創業と言います。森先生の創始創業の精神とはどんなものであったのか。第一の要素は拳法に対する熱い情熱であり不退転の決意であります。森先生と接したことのある人であれば誰でもその情熱を感じない人はいなかったはずです。寝ても覚めても歩く最中も、拳法のことを考え実践していました。私は同宿していて起きた瞬間、形の指導を受けたり、歩きながらの指導も日常のことでした。拳法と生活、人生そのものが拳法と一体になって日々鍛えていました。この姿勢は人生が終わるその日まで続きました。

第二の要素は、御先祖様や神仏、自分とのご縁を頂いたすべてのものへの感謝の気持ちを持つことであり、目にみえないものへの畏敬の念を持つことであります。森先生は創始創業の精神を終生持ち続け、日本拳法を独自に発展・完成し、その普及に生涯をささげました。

日本拳法の沿革

それでは初めに日本拳法がどのように誕生したのかその沿革(歴史)について、昭和59年6月12日(株)講談社発行の『現代体育・スポーツ体系』第20巻「日本拳法」より、抜粋紹介いたします。

昭和の初め、武道専門学校(京都・第4期生)出身の大阪府警察本部柔道師範・黒山高麿(洪火会会長・福岡.1895-1977)は、これら柔術諸流派に伝わる当て身技が滅亡寸前にあることを残念に思い、当時関西大学柔道部学生であった澤山勝(宗海・大阪.1906-1977)に当て身技の復活と、安全な練習法の研究を要請した。研究の内容は、

1.当て身技はすこぶる威力があるため、その悪用をどう防ぐか。
2.練習には危険がともなうので、今までは十分な練習ができなかった。したがって、その安全法。
3.武芸として生きた時代の狭量利己観念から、極意として公開しなかった技をどう発掘するか。

 

黒山高麿先生
※本写真は著者森良之祐 平成12年11月発行の「日本拳法とともに生きる」95ページの写真を引用しております。

従来の形稽古は、技法が実際から離れてしまい、見た目には豪壮華麗なものとして映るが、個性がなくなり技の上達が遅れる。変化技の体得、殊にリズム上の技術修練は良師についたとしても、熟達にはきわめて長年月を要することを指摘。危険をなくし短日月に熟達させるために防具を着装し、思う存分突き、打ち、蹴りをもって撃ち合い、また組んでの投技、関節逆捕技を施すことのできる乱稽古法を創始した。

1932(昭和7)年10月、この新たに復活させた拳の格闘技を〝大日本拳法〞と称し、大阪府天王寺区東高津北之町114番地、洪火会本部に大日本拳法会(会長・澤山勝)を創立した。

 


平成元年10月1日 黒山高麿先生を偲ぶ会(大阪)に於いて、洪火會旗を持つ森 良之祐先生
※本写真は著者森良之祐 平成12年11月発行の「日本拳法とともに生きる」96ページの写真を引用しております。

 

森先生と澤山先生との出会い、そして日本拳法協会設立へ

次に,森 良之祐先生が著された『日本拳法とともに生きる』より、森先生と澤山先生との出会い、日本拳法協会設立の経緯、そしていつも先生が感謝の気持ちを大切にしていたことについて紹介いたします。

「日本拳法」の前身は「大日本拳法」で、昭和7年9月15日、澤山勝先生が大阪の洪火会(黒山高麿会長)本部道場で武道として創始されました。日本拳法と改称して会が再出発したのは、敗戦後の昭和22年4月です。

私は大日本拳法時代、戦争が激化していた昭和18年に関西大学に入学。拳法部に入部しましたが、澤山先生は出征されており、昭和21年に先生が復員されてからご指導を受けるようになりました。そして翌22年7月、郷里徳島に道場を開設。勤めていた新聞社を辞めて練習生の指導に専念していたのが見込まれて、昭和28年、日本拳法会から拳法普及のため東京へ派遣されました。

 

※本写真は著者森良之祐 平成12年11月発行の「日本拳法とともに生きる」31ページの写真を引用しております。

このとき澤山先生は宗家になられて宗海と号し、私は允許権を頂いて「日本拳法協会」を創立しました。(昭和30年5月12日)これが波乱を起こしました。協会の誕生を快く思わない人たちが分派行動と見做し、当初は吸収合併の話を持ち掛け、その後は勢力争いの様相となったのです。澤山先生は後継者の指名をされないまま、昭和52年9月27日に亡くなられました。人の世に対立はつきものですが、内輪争いはほどほどにしないと物事の進歩はありません。長年のボタンのかけ違いを正そうと、昭和59年1月20日、矢野文雄日本拳法会会長(故人)の謝罪もあって、日本拳法会と協会とが連合体制をとることになりましたが、その反動か、日本拳法会は昭和63年、協会から分派した勢力を傘下に加えました。大きい大会に出たいという学生の欲求、出なければ認められない大学体育会のあり方の中で、分裂策を行う人たちの心情は、トマトやスイカの種を蒔き、収穫を誇るようなものです。これに対して杉、桧の苗を育てる人には、数十年先の子孫のために木を植える心があり、人間本来の面目があると思います。

分裂した大学のOBから「日本拳法は一つです」「森先生の拳法をやっています」という言葉を聞きますが、「世界は一つ」「人間みな兄弟」と同じで、真心がこもってないとダメだと思います。今の世界には国境があり、それぞれの国に文化の違い、歴史がある。隣人との間にも守らねばならないルール、節度が必要であることを知るべきです。私は澤山先生のお陰で拳法に生きることができ、東京に来たことを有り難く思っている。

平成12年11月25日、士道〝日本拳法〞を創始する

大正15年、阿波の国徳島に生まれた私は、徳島商業時代に日本拳法と出会い、関大入学後は黒山高麿先生・澤山勝(宗海)先生という〝二人の師〞のご指導をうけるという幸運に恵まれました。そして日本拳法の全国普及という大望を胸に上京。幾多の大学に拳法部を創り、昭和30年には日本拳法協会を創立いたしました。

敗戦により戦前のすべてのものを否定する風潮が強まり、戦後の教育が〝横の民主主義〞に偏したため、日本の良き歴史・文化・伝統というものが軽んじられ、国家・民族衰亡の危機すら感じます。そして、個人主義が〝自己主義〞〝利己主義〞に陥り、様々な悪弊が日本社会に蔓延しています。拳法界もそれらの弊害から逃れることができず、協会創立当初から浪の高い中での船旅が続きましたが、「揺れても沈まず」。舳先(へさき)を必死に保ち、いつも定点を見失わなかったから、危険な航海を乗り切ることができました。

 

澤山 勝先生(右)と森 良之祐先生
※本写真は著者森良之祐 平成12年11月発行の「日本拳法とともに生きる」91ページの写真を引用しております。

 

平成7年4月21日 澤山先生墓前にて

この間、日本拳法と共に生きる難しさを何度も経験させて頂きましたが、数年前に亀甲拳・六甲剣による〝連結波動〞の鍛錬法を会得し、力の弱い子供や女性も修業できる拳法、老人に生きる力を与えるような拳法が完成しました。澤山先生の〝四直四円形則〞もこれによってさらに輝きを増し、この鍛錬法により本文中に記した〝形〞と〝拳理〞を体得することで、これまで困難であった専門家の育成が容易になったと自負しています。

・・・・・私は〝スポーツ拳法〞の旗印を立て、日本民族の心を体した形づくり、ルールづくりに励んできました。が、〝スポーツ拳法〞の限界を感ずるようになりこの旗印を下ろす心境に達しました。・・・・・

今後は士道〝日本拳法〞の旗印のもと、覇道ではなく王道を歩み続け、人の生き方、そして死に方に役立つような日本拳法を目指し、精進する所存であります。

 

 

森 良之祐 先生の道統を受け継ぐ

「青山常運歩(せいざんじょううんぽ)」という言葉があります。以下は私の住む日高市の長松寺住職、小川廣明先生の解説です。

「ゆるがない心でしなやかに歩む」という意味で使われます。山が常に歩いている、という意味ですが、決して超常現象のことではありません。木々に覆われてどっしりそびえる山も、四季の移ろいの中で、季節ごとの姿を見せてくれます。それが山の歩みだというのです。ゆるぎない信念を持ちながらも、しなやかに変化に対応する、それが本当の「動かざる」存在なのです。

 明治記念館にて

また「中流の砥柱(しちゅう)」という言葉があります。中国の黄河の中に柱のようにそそり立っている石のことで、激流の中でも微動だにしないことから、乱世にあって毅然として節義を守っているというたとえに使われる言葉です。

私たち士道日本拳法協会は拳法界の中にあって「青山常運歩(せいざんじょううんぽ)」の存在であり、「中流の砥柱(しちゅう)」でありたいと強く願っています。国の名を流派名とした日本拳法の初代最高師範 森 良之祐 先生が創始した士道日本拳法。その拳法をさらに磨きをかけ、継承・発展普及していくことが協会創設者 森 良之祐 先生に対する私たちの感謝の真心であり、責任であります。私たちは日頃の鍛錬を通じて精神の心棒の確立を目指し、皆さまとともに精進して参りたいと思います。

 

士道日本拳法協会 最高師範 山田 一繫

その他の関連記事はこちら

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

PAGE TOP